館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(25)

春夫の英語学習とクリスマスのこと
春夫の日記の記述で気になることのひとつに、高等小学校時代、放課で帰宅すると毎日のように英語を学びに通っていることがあります。それはキリスト教会新宮教会であったと思われ、英会話であったのか、リーダーの読解であったのか、その内容は判然しませんが、休みの事もあるもののこまめに通っている印象です。

春夫はクリスチャンであったわけではありませんが、信仰面では晩年は浄土宗の法然に帰依した面はあるものの(本墓が京都知恩院にある所以)、少年時代の春夫に与えたキリスト教的な文化雰囲気はやはり無視できないでしょう。それは春夫だけではない、明治10年生まれの由比くめは、日曜学校に通っていましたし、やがてくめの夫となる東基吉は、明治18年6月洗礼を受けています。

基吉は新宮の須川家に生まれましたが、両親と死別、東家の養子となります。新宮キリスト教会などで苦学して英語を学び、しばらく小学校代用教員をした後、和歌山師範、東京高等師範に進んでいます。卒業後まもなく明治 33年、東京女子師範学校(現・お茶の水女子大)助教授兼附属幼稚園批評係になります。日本の幼児教育のメッカともいうべき場で、リーダーとなった基吉は、これまでの欧米直輸入的な保育手法を、自由主義的、児童中心的な方向に変えていく努力を行い、その8年間に及ぶ努力は先駆的(せんくてき)なものとなったのです。基吉は、明治30年代、わが国黎明期(れいめいき)の幼児教育において、最初の体系的保育論の書『幼稚園教育法』を著しています。ドイツの教育者にちなんで「日本のフレーベル」とも言われました。この頃、くめと結婚、くめに口語体童謡の創作を薦(すす)めたのも、そうした教育の推進の立場からでした。

くめは、新宮領主水野家の家老職由比家の出でしたが、早く父を亡くし、母方の筒井家で育ちました。叔父筒井八百珠に養育された面も大きかった。明治20年第一尋常小学校を終えると10歳で大阪のウイルミナ女学校に入学、そこで初めてピアノに触れ感激、東京に出て東京音楽学校に進みましたが、まだ13歳であったので選科生として処遇され、その後同学校を卒業、東京府立高等女学校教諭になりました。校長の嘉納治五郎の推薦であったと言います。23歳で同じ新宮出身の東基吉と結婚、基吉は明治41年から宮崎、栃木、三重の各師範学校長を歴任、最後に大正6~14年、大阪の池田師範学校長を勤め、池田に住居を定めました。くめの音楽学校在学時の2年後輩にいたのが、「荒城の月」の作曲者として有名な滝廉太郎(たきれんたろう)で、ふたりのコンビで多くの口語唱歌が作られました。「鳩ぽっぽ」「お正月」「鯉幟(こいのぼり)」「雪やこんこ」などです。明治34年に刊行された「幼稚園唱歌」の大半は、ふたりのコンビで作らたものでしたが、滝廉太郎はその後も名を成しましたが、くめはほとんど忘れられていったようです。昭和33年NHKのテレビ番組「私の秘密」にくめが登場して、改めて脚光を浴びることになったのです。くめもまた、幼いころ献堂されたばかりの新宮教会に通って、外国人宣教師などから英語を学び、西洋音楽に触れる機会をもったのでした。

 

昭和33年刊の『窓前花』

くめより15年後に生まれた春夫は、後年、キリスト教のクリスマスを祝う少年時代の素朴な雰囲気を懐かしんでいます。そうした素朴さは次第に失われ、むしろ商業主義に堕してゆく風潮を批判的に見て、「ばかばかしいクリスマス」と言っています。

 「またばかばかしいクリスマスが近づいて来た。何もクリスマスそのものがばかばかしいといふのではない。わたくしも古往今来第一の大詩人であり大思想家であるクリストの誕生は大に祝ふ。ただ近ごろわが国一般のクリスマスの祝ひ方をばかばかしいといふだけである。」で始まる文章(「窓前花(そうぜんのはな)」(昭和33年所収の随筆・読売新聞「愚者の楽園」欄)で、
「もう半世紀も前のことであるが、わたくしも日曜学校の生徒としてクリスマスのつどひに姉とともに列して、ゐなかの牧師さんから馬屋のなかのお誕生、東方から来た三人の博士たちの話などに耳を傾けた一夜のよい思ひ出がある。あのころゐなかではまだ、子供にサンタクロースも訪れず、ゐなか町の商店街はさわがしくなく、酔つぱらひが新年並みにうろつきもせず、教会のオルガンが静かな夜の町にただよひ、子供心にもほんたうに何か聖なる夜のやうな気がしたものであつた。時代がよかつたのだか、ゐなかがよかつたのだかは知らないが。/ めづらしく教会ではストーヴをたき、人いきれがして暖かい会合が果てて戸外へ出ると、南国も十二月の夜は身ぶるひが出た。その寒さもなつかしいその時の思ひ出をわたくしは次のやうに言つた―。/ 新しき星の寒さよクリスマス」
と述べています。

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